頭の脂肪を落とすための日記

月が綺麗で、風が吹く日に開設しようと思ったわけです。音楽や映画に乗せて、そこにあった物語、もしくはあったかもしれない物語、そんなことを書き連ねていけたらよいな、そんな風に思っています。

第5稿:美について

とある映画祭が、とある大学で行われており、

今日はそのお手伝いに行っていたのでした。

 

今日最後のプログラムで、吉永小百合さんが登壇するとのことで、

その警護役のお手伝いだったのでした。

 

「きっと綺麗な人なんだろうな」とは思っていましたが、

一目見て、その美しさに心を奪われてしまったのでした。

 

「美しさ」それは一体何から生じて私に訴えかけたのでしょうか?

容姿でしょうか?雰囲気でしょうか?

色々と考え巡らせながら講演を拝聴している間に、

一つ思ったことがありました。

 

「言葉」と、それを使って何かを伝える「話」、

そこに美しさのヒントが見つかったような気がしたのです。

 

吉永さんは詩の朗読などを主に最近は活動されています。

その時に一番気を付けることは、

「感情を入れないようにすること」と仰っていました。

朗読されている内容が、原爆敷いては広島のことが多いので、

そのようなことを気を付けているとのことですが、

講演の際でもそれと近い感覚で喋られているのを間近に感じ、

そこに美しさの正体があったと思うのです。

 

吉永さんは、とてもゆっくりお話しになられます。

しかし、間延びはしません。

一つ一つ、胸に手を当てながら言葉を選び、

句読点と読点がそこに存在するような、

独特な美しく暖かいリズムでお話を進行することで、

「伝える」という話の本質を見事に体現されていました。

 

「言葉を紡ぐ」とはよく言いますが、 

まさに、美しい手を持った女性に編まれる毛糸のマフラーのような、

そんなように言葉を用いてお話をされるのです。

 

そして、感情を発露する言葉は、滅多に口にされませんでした。

しかし、そこにあった事実をお話されながら、

先述したリズムと、そして声のトーンを用いて、

直接的な言葉を使わずに、とても丁寧にご自身の感情を表現されているようでした。

 

「あぁ、この人はきっと、このお話と同じように、

丁寧に丁寧に、そして何より、雑で大袈裟にならないように、

ご自身の感情と向き合ってきたのだろうな」

 

そう思った瞬間に、一輪の大きな薔薇のイメージが頭に浮かんできました。

 

吉永さんの薔薇は、感情という花弁を丁寧に沢山紡いできたお蔭で、

普通より多くの花弁が付いた、それはそれは立派な物だと思いました。

そしてそれは、美しい物でした。

 

これが吉永さんの美しさの正体なのかもしれんなぁ、と。

 

正確に観測ができれば、

美という概念は、愛という概念と同じくらいに、

所謂真理に辿り着ける物であるかもしれんなぁ、と。

 

思ったのもつかの間、次に来たのは、その薔薇ですらまだ未完成ということ。

 

以下、とても不謹慎かもしれません。

 

吉永さんは、きっとお亡くなりになるまで、この美しい生き方なのだと思います。

御年は既に73歳ですが、まだまだご自身の美しい感情を紡いでいかれるでしょう。

となると、その薔薇の完成はいつでしょうか?

恐らく、死によってその薔薇は完成されるでしょう。

私にとっては、ため息の出るほど美しく、完成された人生です。

 

ここまで考え付いて、やはり!と思いました。

真理には、触れられそうで、やはり触れることはできないのです。

山口メンバー事件の時の、松岡さんの眼差しの時と同じなのです。

 

経験上これ以上考えを構築しても、

結局明日の昼食はどうしよう、みたいなことに行きつくだけで、

要は寝れなくなってしまうので、とても大事に思う段階まで記したのでした。

 

あぁそれにしても、美しい物に触れるということは、

人生における何という快楽なのでしょう!

この陶酔感は、何物にも、勝る。

人生を、目一杯、肯定してみとうございます。

 

最後に、人に触れて美しさを感じたので、

人を感じる美しい曲を貼って、第5稿は終了です。

 

おやすみなさい

 

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