頭の脂肪を落とすための日記

月が綺麗で、風が吹く日に開設しようと思ったわけです。音楽や映画に乗せて、そこにあった物語、もしくはあったかもしれない物語、そんなことを書き連ねていけたらよいな、そんな風に思っています。

第9稿:KEEP RUNNING!

カメラを止めるな!を観ました。

 

すごーく、すんごく楽しい映画でした。

気持ち良いくらいに最高なエンターテイメントでした。

監督、好きだなぁ…色々鬱憤溜まってからの最初のシーンね。

スッキリ!って感じ。

 

さて、今回は「RUN」ということについて。

 

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ここに来てこの曲を作れる素晴らしさよ。

これから、多分恐らく、彼は魂を削る楽曲を作ってくれるでしょう。

そう思わせる、この曲でした。

個人的には、これからもっと注目したいアーティストの一人です。

 

間違うことはできないし 答えは隠される

どんなに挫かれ切っても 僕らはまだ 走るのみ

 

勇気を、もらえました。

 

次、季節の話

 

今月16日の朝、風が強くて「おや」と思ったのです。

そして翌日、「おや」が確信に変わりました。

 

秋が、来ました。

私が狂おしいほど愛している、この季節が、「こんちわ」つって。

ここから9月半ばまでが面白い。

夏の断末魔を味わいつつ、愛している季節の足音に心を躍らせる。

 

そして更に私を夢中にさせる、金木犀の香り。あぁ、早く嗅ぎたい。

金木犀花言葉は、「謙虚・謙遜」「気高い人」「真実」、

そして更に、「陶酔」と「初恋」。

素晴らしい。私が欲しい物が全て揃っている。

あぁきっと、私は、金木犀に、恋をしている。


それにしても、なんて素敵な、美しい夜だろう!

 

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第8稿:今日は涼しくて寝やすい日だと思ったら油断したよね

 

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ふと携帯を見たら、AM3:33。

あ、これ寝れないやつじゃんと思い、この曲に乗せてこんな時間に書きます。

 

 

今日は一日休みでして、だらだらと家で映画を観ておったのでした。

ということで、映画の話。

 

1作目:ゴッドファーザー

そういえば社長から返してもらったから久しぶりに見るか、と。

そもそも映画を観るようになったきっかけになった作品でして、

「愛について」とか「人生の美学」とか、今の私を構成する大事な要素を

この映画を通して学んだといっても過言ではありません。

言わずもがなですが、何をどうやって観たって、素晴らしい作品です。

もし息子がいたら、確実にこの映画は見せるだろうな…と、

予定の無い妄想をしていたらもうこんな時間です。南無。

 

2作目:シン・ゴジラ

これも社長から返却されたシリーズ。

公開時になんやかんや話題になりましたが、私はとっても主張したかった!

その場が無かったので言うこともなかったですが、ナイスブログ!

ゴジラはそれこそ昭和~平成ゴジラまで、私は網羅しておるわけです。

親父が特撮が好きで、家に常備されていたものですから。

んで、私は「ゴジラ」が好きなので、ぶっちゃけストーリーとかどうでもいい。

ゴジラが出てきて、街を破壊して、口から放射能を出せばそれでよいのです。

同じことが、ターミネーターにも言えます。

理由があって対象に対して愛を感じる、というのは大きな倒錯です。

愛があるから、それを説明する為に、伝える為に、理由が生まれます。

本当に好きなら、好きで居続ける為の方法を、向き合い方を、考えるべきだと。

あーこれは、ヘビーメタルに関しても同じことが言えるなぁ。

 

3作目:メランコリア

ラース・フォン・トリアー監督の作品です。

この監督の作品はすごく好きで、ほとんどが家に置いてあるほどです。

基本的に、登場人物の救済とかは、ありません。

「環境&状況」と「こんな人々」が設定されて、

そこに生まれる人の姿を、描いている印象です。

映像が美しいです。「終焉」という漢字が持つそこはかとない美しさが、

映像になっているような印象です。

 

4作目:インターステラー

宇宙の話です。監督は、バットマンでおなじみクリストファー・ノーラン

内容はいわずもがな素晴らしいので、割愛。

この映画を観て、「特異点」という事象のことを考える時間が増えました。

今現在の人類は、予測できる事象として3つの特異点があるようです。

【その1:ブラックホールの観測】

これはまじでヤバイ。

引力が凄すぎて、ある一定の地点まで行くと光の速さでも逃げ切れなくなります。

要は、観測できないんですね。帰ってこれないから。

因みに、引力はその物の質量と密接な関係があるそうですが、

ブラックホールと地球の質量を同じにした場合、大きさはどう違ってくるか?

地球が今のサイズだとして、ブラックホールは10円玉くらいだそうです。

ロマン詰め込みすぎて訳分かんなくなってますよね。

【その2:AIの技術】

AIが自我を持つようになる、ってやつですね。

ターミネーターの世界になってしまうのか!という意見が大半ですが、

いやいや色々あって、人類に仕事という概念が無くなる日が来ましたよ、と。

私はそんな日を、待ちわびている。

にしても、AIが人類に牙を剥いたとしたら、まず勝ち目ないと思うんですよね。

だって、インターネットを通じて、世界と秒単位で交信ができているわけで、

要は同じスピード感で私たちの生活を奪うわけでしょ。こりゃ無理だ。

【その3:愛の観測】

握力とか視力とかと同じように、愛も人が持ちうる能力として観測ができたとしたら。

古来から人類は愛について様々語ってきたようです。

それが歌だったり、音楽だったり、文章だったり。

しかし、様々な愛の在り方は語られてきたものの、

愛の正体は未だ誰にも掴めていないようです。

だからこそ、この時代にも沢山のラブソングが生まれているのだと思います。

これを本気でしようとするには、愛を一度畏れなければなりません。

未知の事象であると捉えて始めて、真剣にそれを見つめます。恐いから。

一見私たちの生活に当たり前のように存在しているように思われがちですが、

いやいやそれは違います。愛は特異点です。ロマンの塊なのであります。

 

といったところでしょうか。

映画のことを書いたら随分冗長になったようです。

羊たちの沈黙で書いたら、永遠に終わらないかもしれないな、

なんて危惧しつつ…そろそろ寝ないと!

 

 

 

 

第7稿:男性と女性

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引けない一線が確実に存在している中で成される、

「友情」についての会話は、それはとても熱く、とても優しいもので。

 

双方の主張のどちらにも間違いは全く見受けられず、

ただ食い違っているのは、対象に対しての愛情の濃度というか、

むしろ、濃度が濃いからこそ考えてしまう疑念、というようなこと。

 

平行線を辿る会話の中で、対象を抜きにした、互いへの愛情からの会話へ発展し、

そこからは言葉を挟めないほど純粋な美しい時間が流れているだけでした。

 

 

片方は、Romanceの対象が同性の方でした。

 

問題についての会話が終わった後で、色々と話しを聞いたけれど、

少し驚いたのは、例えば私が女性と付き合うのと、全く何も変わらないということ。

 

私の勝手な偏見で、同性同士のカップルというのは、

異性同士のそれと違い、お互いのこともよくわかっており、

所謂煩雑なやり取りとは皆無の中で関係が成り立っているとばかり思っていました。

 

そうではなく、互いの努力の中でもちろん関係が成り立っていること。

 

当たり前だけど、自分に偏見があったのだな、と、発見させてくれました。

そして更に、自分の中で、大きな偏見がなくなった、素晴らしい夜でした。

これでまた一つ、私は私の納得のいく自分に近づけたな、と。

 

"He"というのは、"She"から”S"(saint)を奪った形だというのは私の考えですが、

"He"とか"She"ということではなく、"Living Thing"として愛を見つめること、

そうすれば、ひねくれた"S"問題も気にならなくなるようでした。

 

彼の話している姿を見ていて、頭に浮かんだことは、

「指を折り曲げる仕草が美しいな」とか、

「とても綺麗に、相手に分かるように、愛を持って言葉を紡ぐな」とか、

「炎の宿るその瞳が、たまらなく美しいな」とかでした。

 

 

心を奪われる瞬間というのは突然にくるものです。

たまたま私には、1日に1回必ず思い出す人がいて、

要は、そこはかとなく、今はその人に夢中になっていますが、

もしそれが無かったら、彼を欲しいと、思っていたかもしれないな。

 

そんな風に思ったら、前にお目にかかったのがいつか思い出せないくらい久しぶりに、

ひょっこりと、とても珍しい感情の芽が、顔を出したようでした。

 

帰り道では、優しい雨が、降っていました。

 

 

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第6稿:久しぶりの我が家。そして、group_inou

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連勤明けの最終日の今朝、この曲が耳に流れてきました。

 

とても短い時間。音楽を咀嚼する、朝の大事な時間。

 

タクシーを待つ停留所で、涙が零れそうになった。

 

多分、彼を除いた人間で、「会いたい」と心から思えたのが、久しぶりだったから。

 

そして、もっと、たくさんの人に、会いたいと、思いました。

 

駅前を歩くあの人も、この人も、すべての人が、

皆、いろんな想いを持って、その体躯の中に宇宙を内包している。

 

それを、私は、見とうございます。

それを、観測してみとうございます。

それを以て、私自身を、完成させてみとうございます。

 

そんなこと思いつつ、久しぶりの我が家に着きまして、

こんな時間まで音楽を、聴いていたのでした。

 

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酒とシンセ。最高のコンビネーション。

 

大好きな友人の言葉、

「あんたは編集者か先生になったらよい」と。

 

先生になったとして、いじめとかに会う奴もいたりした時に、

私なら胸を張ってこれだけは言える、

 

「そっか。でもね、先生もね、本気で死にたいと、思った時、

 あったんだよ。

 それを救ってくれたのは、救ったくせに先に死んだ友人と、

 そして、音楽だったよ」

 

そんな風に話かけたら、救えるかな?

袋小路で息絶える、そんな宿命だった命が、

もしかしたら、私が好きな音楽を、奏でるかな?

 

魂に、もう一度、炎を灯せるかな?

 

そもそも、「人を救う」なんて、傲慢かな?

 

様々な疑問が、全て私に問いかけ直します。

 

正直、とっても難しいことばかり。

 

それでも、目に見える形にはならなくとも、

目一杯愛したいと思える人がいること、

それだけで、人生もうけもんです。

 

・・・

 

きりがないから、今日はここまで。

 

https://www.youtube.com/watch?v=9LD3NKlS55g&list=RD9LD3NKlS55g&start_radio=1

 

こんな曲を聴きながら、夜中の首都高とかそういうのを、

貴女と、走ってみたいな。

 

もう少し、あと一段階だけでも、

人生をドラマティックにしてみたいな!

 

 

 

 

 

 

第5稿:美について

とある映画祭が、とある大学で行われており、

今日はそのお手伝いに行っていたのでした。

 

今日最後のプログラムで、吉永小百合さんが登壇するとのことで、

その警護役のお手伝いだったのでした。

 

「きっと綺麗な人なんだろうな」とは思っていましたが、

一目見て、その美しさに心を奪われてしまったのでした。

 

「美しさ」それは一体何から生じて私に訴えかけたのでしょうか?

容姿でしょうか?雰囲気でしょうか?

色々と考え巡らせながら講演を拝聴している間に、

一つ思ったことがありました。

 

「言葉」と、それを使って何かを伝える「話」、

そこに美しさのヒントが見つかったような気がしたのです。

 

吉永さんは詩の朗読などを主に最近は活動されています。

その時に一番気を付けることは、

「感情を入れないようにすること」と仰っていました。

朗読されている内容が、原爆敷いては広島のことが多いので、

そのようなことを気を付けているとのことですが、

講演の際でもそれと近い感覚で喋られているのを間近に感じ、

そこに美しさの正体があったと思うのです。

 

吉永さんは、とてもゆっくりお話しになられます。

しかし、間延びはしません。

一つ一つ、胸に手を当てながら言葉を選び、

句読点と読点がそこに存在するような、

独特な美しく暖かいリズムでお話を進行することで、

「伝える」という話の本質を見事に体現されていました。

 

「言葉を紡ぐ」とはよく言いますが、 

まさに、美しい手を持った女性に編まれる毛糸のマフラーのような、

そんなように言葉を用いてお話をされるのです。

 

そして、感情を発露する言葉は、滅多に口にされませんでした。

しかし、そこにあった事実をお話されながら、

先述したリズムと、そして声のトーンを用いて、

直接的な言葉を使わずに、とても丁寧にご自身の感情を表現されているようでした。

 

「あぁ、この人はきっと、このお話と同じように、

丁寧に丁寧に、そして何より、雑で大袈裟にならないように、

ご自身の感情と向き合ってきたのだろうな」

 

そう思った瞬間に、一輪の大きな薔薇のイメージが頭に浮かんできました。

 

吉永さんの薔薇は、感情という花弁を丁寧に沢山紡いできたお蔭で、

普通より多くの花弁が付いた、それはそれは立派な物だと思いました。

そしてそれは、美しい物でした。

 

これが吉永さんの美しさの正体なのかもしれんなぁ、と。

 

正確に観測ができれば、

美という概念は、愛という概念と同じくらいに、

所謂真理に辿り着ける物であるかもしれんなぁ、と。

 

思ったのもつかの間、次に来たのは、その薔薇ですらまだ未完成ということ。

 

以下、とても不謹慎かもしれません。

 

吉永さんは、きっとお亡くなりになるまで、この美しい生き方なのだと思います。

御年は既に73歳ですが、まだまだご自身の美しい感情を紡いでいかれるでしょう。

となると、その薔薇の完成はいつでしょうか?

恐らく、死によってその薔薇は完成されるでしょう。

私にとっては、ため息の出るほど美しく、完成された人生です。

 

ここまで考え付いて、やはり!と思いました。

真理には、触れられそうで、やはり触れることはできないのです。

山口メンバー事件の時の、松岡さんの眼差しの時と同じなのです。

 

経験上これ以上考えを構築しても、

結局明日の昼食はどうしよう、みたいなことに行きつくだけで、

要は寝れなくなってしまうので、とても大事に思う段階まで記したのでした。

 

あぁそれにしても、美しい物に触れるということは、

人生における何という快楽なのでしょう!

この陶酔感は、何物にも、勝る。

人生を、目一杯、肯定してみとうございます。

 

最後に、人に触れて美しさを感じたので、

人を感じる美しい曲を貼って、第5稿は終了です。

 

おやすみなさい

 

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第4稿:楽しさと寂しさと

https://youtu.be/myC8tDcKldo


懐かしい地元の友人がいて

そんなに話したことなかったのに、

顔を見て、酒を一緒に飲んで、目一杯歌って、

楽しければ楽しいほど、帰りの山手線が妙に寂しく感じるのです


いつでもまた会えるよ!って、ハローみたいな顔してグッバイするけれど、

やはり、もしかすると、これが最後になるのかもしれないなんて、

弱気な自分が出たりするわけです


私は、私と時間を共有してくれる、全ての人が、

須く好きなんだな、と、そんな風に思える、

今日はそんな夜なわけです


あ、あの人に会いたいな、なんて、

珍しくそんな風に思う、そんな夜です


Good Night!

Love yourself to death! Cause I'm loving you!

第3稿:夜空はいつでも最高密度の青色だ

「僕が最近見た映画では、これが一番だったなぁ」

 

待望の一服を挟んで、”カントク”が少年みたいな顔をして言うのでした。

 

”カントク”というのは、私が小学校の時に入っていた野球チームの監督だったからで、

とあることをきっかけに、今回で3回目の食事会を、先週にしたのでした。

 

なんか色々とこの映画の説明もしてくれたのですが、

例のごとく私はあんまり覚えておらず、

カントクがこの顔で勧めてくる時は、大体私にも合うやつなんだよな、

なんて思い早速ポチッと購入したのでした。

 

で、本日。

 

最近やたらに風が強いなぁと思いつつ、

本当に嫌なのでゾンビみたいな目をしながら原付に跨り会社に向かい、

21時頃には「飽きた」という正当な理由の下、会社を出たのでした。

 

帰り道のBGMは、この曲。

 

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月がぞっとするような明かりで街を見下ろしていて、

見つからないように肩をすぼめながら第二京浜を走って帰るわけです。

 

普段は月に見とれることが多いですが、今日はそうではなかったのです。

そうしてみると、どうやら空が随分に青いことに気づきました。

 

「あぁなるほど。では今晩はあの映画を見ねばなるまい」

 

途中銭湯に寄ったりしつつ、家に着いて早速鑑賞を開始したのでした。

 

さて、ここからが本題。

 

映画はとても素敵でした。とても、心地良いものでした。

それ以外に言葉が見つからないので、内容含めて大部分は、割愛。

(この「割愛」って言葉、いいよなぁ。

「愛」を持って「割く」、ということでしょう。

「離婚」ってのも「割愛」にすればよいのじゃないかしら。

 そうしたら離婚って事柄にも、もう少し柑橘系の香りが足されるはず?

 それとも、もっと血の味が増えるかしら?笑)

 

途中、主役の女性が実家に帰って妹に言われる台詞、

「お姉ちゃんは、今まで人を好きになったことがないんじゃないの?」

 

げぇっと思いました。最近はよくこの言葉を耳にするなぁ…

 

そうもなると私自身と重なり合ってくるわけでして、

うーん…ぬーん…と思いながらも映画のストーリーを追いかけていったわけでした。

 

しかし、最後10分ほど美しい場面が続き、

ラストシーンが終わった瞬間に、どうも妙な感覚が私を通り過ぎていきました。

それは随分懐かしく、心地よい感触の風でした。

 

多分、今の私にはそれが一番本当に大事で、

映画でなく実生活でそれを感じられる瞬間を見逃してはならぬ、

ということなのでしょう。

漠然と思っていたそんなことが、

ほんの少し確信に近づいた、そんな2018年折り返し初日の夜でした。

 

あぁ!今夜は寝るには勿体ない!